
APL 21, 2023
Special interview
豊竹咲寿太夫
豊竹咲寿太夫
×
Takahiro Sato
佐藤貴浩
# 01
Creators cross talking
Ambassador × Designer
Ambassador
×
Designer
"人形浄瑠璃・文楽との出会い"
佐藤:
こんにちは。KUDEN by TAKAHIRO SATO のデザイナー、佐藤貴浩と申します。
今日は人形浄瑠璃の咲寿様に来て頂いて
色々とお話を聞いていこうと思います。
まずは僕からお話しするよりも、咲寿さんの方から自己紹介をお願い致します。
咲寿:
はい。人形浄瑠璃、文楽の太夫の豊竹咲寿太夫と言います。宜しくお願いします。
佐藤:
まずは人形浄瑠璃というお話が出たんですけれども、
僕もこの間初めて自分で観劇させて頂いたりとか、
あと小説の方で咲寿さんにこれから監修して頂くんですけれども
エンターテイメントに義太夫節を入れたりというきっかけでお知り合いにならせて頂いて、服の方も
気に入って頂いて今回色々とコラボレーションさせて頂くことになりました。
咲寿:
はい。
佐藤:
まずは海外の方とか、それからお客様に人形浄瑠璃、文楽と呼ばれている物を紹介したいと思いお話をさせて頂きます。
咲寿さん、人形浄瑠璃と文楽というお話があったんですけれども、あとは太夫という所もあったんですが、
ここら辺は海外の方も多くて知らないことが多いので、
人形浄瑠璃と文楽の違いだったりとか、人形浄瑠璃の歴史がどういう物かを説明頂けますか?宜しくお願いします。
咲寿:
「人形浄瑠璃」という芸能のジャンルになるんですけれども
同じ様な芸能では、「能」「歌舞伎」ございまして
能が一番古い芸能ではありますが、歌舞伎と人形浄瑠璃というのは殆ど同世代くらいの芸能なんですね。
江戸時代の元禄時代に隆盛をお互いに持った芸能でありまして、
その頃に人形浄瑠璃という芸能が完成したと言われています
その人形浄瑠璃という芸能の中の現在プロの団体としてやっている一座、これが文楽座というものがございまして。
佐藤:
それで文楽という名前に?
咲寿:
そうなんです。
人形浄瑠璃、文楽という風に言われていますが
人形浄瑠璃という芸能の文楽座の人間がやっている芸能ことで、「文楽」「文楽」と言われていますね。
佐藤:
なかなか僕も最初に調べた時に、
人形浄瑠璃が正なのか、文楽が正なのか。
それとも格があって上か下なのかよくわからなくて
今日ご紹介する時にちょっと吃ったのは
まだその迷いがある感じだったので、
多分僕以外の方も詳しくわからないと…
咲寿:
そうですね。
佐藤:
では人形浄瑠璃というものがベースというか、演劇の種目みたいなもので…
咲寿:
そうですね。
佐藤:
その中で活躍されている主たる一座というのが文楽座の皆様というイメージですかね?
咲寿:
はい。なのでその人形浄瑠璃という芸能でも
全国に今、沢山の一座の方がいらっしゃって
大阪にも勿論文楽以外にもありますし、淡路とか、熊本とか、長野県とか。
佐藤:
熊本にも?
咲寿:
今度熊本県の清和文楽という所なんですけれども
ここは今度ワンピースをやられるそうで。
佐藤:
へぇー。
咲寿:
地元なんで、ワンピースの尾田栄一郎さんの。やられるそうですけれど、そういう風に全国に色んな人形浄瑠璃の一座がある中の
大阪で育った一座。これが文楽座です。

佐藤:
咲寿さんが今、所属というか弟子入りされている所をご紹介頂けますか?
咲寿:
はい。
私の仕事は「太夫」という仕事をしていまして
人形浄瑠璃というものは、「人形」と「浄瑠璃」という言葉があるんですけれどもまずこの浄瑠璃というものがありまして、浄瑠璃は物語を語る太夫、私の仕事ですけれど、と三味線を弾く三味線弾きとい人がいまして、
この太夫と三味線が、浄瑠璃という種類の物語を語ります。
そこに人形遣いの人が正面の舞台で人形を使うという形ですね。
現場でアテレコをしているような、そういうイメージを持って頂ければいいかなと。
佐藤:
僕もこの間、観させて頂いて。
その時は「桂川連理の柵」で、結構その…ピーキーな女の子が
咲寿:
はい。
佐藤:
年の離れた恋の話というか。
まあ、悲しい結末なんですけど。
観た時に、咲寿さんが出てらっしゃって、あと三味線があって、ナレーションとか、台詞を1人で何人もやられたりとか、
BGMだったり効果音みたいなものは
三味線の方がやられていて、
あとは人形の…1体を3人でやって、観ていたんですけれどだんだんのめり込んでくると、人形以外が見えなくなってくるという凄く不思議な経験をして。
咲寿:
ありがとうございます。
佐藤:
これが昔の町人の方達が楽しんだザ・エンターテイメントってこういう事なのかって思いました。
それでは、そういう太夫という役割をやられて…。
咲寿:
はい。
基本的には1人で物語を語るというのが太夫の仕事で
元々は琵琶法師という所が
佐藤:
昔話でよく聞きます
咲寿:
琵琶法師の人たちっていうのは、平家物語
平家の物語を琵琶で色んな所で、盲目の琵琶の法師の人が語り継いできた
という所から始まっているので、
基本的に1人で物語をナレーションから色んな登場人物
老若男女、全ての登場人物を語り分けて
且つ、琵琶から三味線に移りました。時代の変遷で。
それで三味線と太夫という風に分かれてまして
そういう風に義太夫節という名前がつき、
佐藤:
独特ですよね。
咲寿:
はい。これを語ります。
佐藤:
格好良いですよね。
字幕を見ていいのか、
劇場に字幕が出ているんですけど
できればコレを見ないでコッチを堪能したいんだけれど、チラッと字幕を見ると…っていうのが
字幕を見ながら覚えたいな…って。

佐藤:
では逆に、咲寿さんはお若いですよね。
今おいくつですか?
咲寿:
33になりました。
佐藤:
やっぱり業界の中では凄くお若いと思うんですけれども
咲寿:
そうですね。
佐藤:
何故この世界に足を踏み入れて、
どういう所を魅力と思ってらっしゃいますか?
咲寿:
先程、大阪で育った芸能という風に紹介したんですけれども、大阪の南という風に言ったらわかって頂けると思うんですが、
難波とか日本橋とか。元々は天王寺という所で竹本義太夫という人が竹本座というものを作って広めた。
そういう芸能で、今の道頓堀に竹本座というものを構えるんですね。
そのまま大阪で次第に伝わっていった芸能で、その近くで生まれたんです。
佐藤:
生まれがその地元だったんですね。
咲寿:
もうまさしく地元のど真ん中のところで生まれて、
今の国立文楽劇場が大阪にあるんですけれど、
文楽劇場の凄く近くに実家がありまして、小さい時から文楽というものを知っていたんですね。
文楽劇場では夏休みに親子劇場というもので
佐藤:
そんな子供向けもあるんですね。
咲寿:
あるんです。
普段の「曽根崎心中」とかそういうものではなくて、
佐藤:
小学生にはちょっと早いですもんね。
咲寿:
「西遊記」とか。
佐藤:
西遊記なんかあるんですか?
咲寿:
ありますよ。

佐藤:
人形もあるんですか?
咲寿:
あります、孫悟空の人形が。
この間は「瓜子姫」をやりました。
そういう童話とか、完全新作のものとかもやったりして
そういうお子さんが見ても楽しめるものを夏休みにやるんです。
それは小さい頃から観ていて、
親に連れられて…。
佐藤:
小さい頃から慣れ親しんでいたものなんですね
咲寿:
そうなんです。
変な話が、伝統芸能だと思っていなくて。小さい頃。地元の人形劇だと思っていたんです。
佐藤:
ありますね。小さい頃近くの市民会館とかに人形劇観に行くって。
咲寿:
そういう感覚で行ってたので
佐藤:
それが昔から続く伝統だとは
咲寿:
知らなかったんですよね。
通っていた小学校で丁度自分が小学校5年生くらいの時に
ゆとり教育が始まりまして。
その時にゆとり教育で総合学習という授業が追加されたんですね。
総合学習はどうやら学校毎に自由にカリキュラムを組み立てられる様で、
自分の学校は地元の伝統芸能の人形浄瑠璃、文楽をその授業に取り入れようってなったんです。
小学校6年生の時に、1年間かけて文楽の実際の演目を児童がやるという。
佐藤:
それはさっき言った太夫も三味線も人形遣いも?
咲寿:
それぞれ分かれて1つの演目を1年間かけてしかも実際の文楽座の人に教えてもらう。
佐藤:
凄い。英才教育ですね。
咲寿:
はい。やりまして。
どうやって授業に来てもらうことを考えたのかはわからないですけど、そういう風に小学校6年生の時に、その授業が始まりまして。
1期生だったんですね。
その時やった物語が源義経の子供の時の話で、
まだ牛若丸と名乗っていた時代の時に、
弁慶と京都の五条橋で出会いまして、2人が戦って弁慶が牛若丸に負けて、これからずっと主従でいて下さいと
そういう出会いの場面の演目が、
「五条橋の段」という演目がありましてそれを1年間かけてやったんです。
その時に太夫を選んだんです。
佐藤:
凄いですね、偶然というか。

咲寿:
本当に偶然の積み重なりという形です。
太夫を選びまして、11月の年末に保護者の人と後輩を前に学習発表会みたいな形で発表会をしまして。
その時に、舞台に上がって
後輩たちがライトが落ちている中に
ぼやーっと制服姿の後輩たちがいて、保護者の人たちがいて
その瞬間に「ああ気持ちいいな」と思ったんです。
佐藤:
やる前からその感慨であっと思ったんですね。
咲寿:
それでもう「舞台ってなんて気持ちいんだろう」
って思って入門しました。
佐藤:
緊張とかよりも楽しさが勝ったんですね。
咲寿:
楽しかったんです。
佐藤:
今、1年間通して子供たちに教えるなんてそういう苦労をかけてまでやって下さったから後継が続いているって
凄い繋がりですね。
咲寿:
もう自分で言うのもあれですけどなかなかいない…。
佐藤:
最初すぐにそれで入門したいって言って親は反対しなかったんですか?
咲寿:
親は反対しなかったんですよね。これがまたありがたいことで。
佐藤:
楽しそうだったんじゃないですか?
咲寿:
そうですね。
佐藤:
これはやらせた方がいいぞ、と。
まずはどこに、どういう風に入門されたんですか?
咲寿:
その時教えに来て下さってた、
今は竹本織太夫という名前の
まだ襲名してなかったので、
その時は豊竹咲甫太夫と名乗ってらしたんですけど
現在の竹本織太夫という、兄弟子になるんですけど
当時はまだ若かったので兄さんに弟子入りすることがまだ出来なかったので、兄さんの師匠である今の師匠に入門しました。
佐藤:
凄いですね…。
ありがとうございます。

— 全ては変化を繰り返して脈々と継がれてきたもの
豊竹咲寿太夫
[豊竹咲寿太夫さん就任コメント]
着物とは「着る物」。実にシンプル。
時代の流れで着る物のスタイルが変化するのは必然。
かつての生活に寄り添った機能美に裏付けられた着物の様式美を、自分達が生きる現代の生活へ昇華した機能美には普遍と革新が同時に存在している。
古いものにも新しいものにも不可逆的な時間の流れの中に境目はなく、全ては変化を繰り返して脈々と継がれてきたものだ。
それが口伝。
ようこそ、さあ、ご一緒に。
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